潮騒の子守り歌-[conparuの白い航跡]

アクセスカウンタ

zoom RSS 陸に上がった河童 その2

<<   作成日時 : 2013/09/19 18:12   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

シロウト文章の詰まらなさは、書き手自身がつまらないからだ。
それなりの脚色を加えれば、多少の面白さも提供できるとは思うのだけれど、自分史をフィクションに置き換えるのも図々しい所作というもので、どうも筆が進みにくい。
要するにアンチ才能だ。
本当に表現したいことは隠れたところにある。(ドキッ!)

以前に船員をやめて陸上の職に就こうと決心した心境を、ちょっとだけ述べたことがあった。
当時は日本経済が右肩上がりの成長期で、1964年の東京オリンピックが開かれようとしていた時期でもある。

海から陸へと思っても、簡単にできない意識の問題があった。
それは社会環境が全く違う上に、毎日の生活が陸上の常識からかけ離れていたことである。
いわゆる非日常の生活パターンが、船上では日常化していた特殊環境によるもので、海上生活と陸上生活の二者の間には意識の変換が必要なことだった。

一つ例にとれば、船と云う限られた空間の中では、目に入るものと言えば広い大洋と同じ顔を突き合わせる乗組員であり、さらには寄港地や目的地の港における、風景やそこに係わる人たちの姿であるから、行動的にも非常に限定された領域なのである。
端的にいえば話題が偏りがちで、同じ話題でも面白おかしく、航海中に何度でも繰り返されるのが常だから、もし、これが陸上社会で行われたら変人扱いか若しくは無視されてしまうだろう。

もう一つ言えることは、男子社会であるから(現在は女性の船員もいるようだが)セックスが頭にこびりついて異性の想念に支配されやすいということ。
まだ若かった私は、これらを放棄しなければ陸の人にはなれないと考えた。

何かしら禊の段階が必要だと思った。
いろいろ資料を取り寄せて、これだ!と思ったのがデザイン学校である。
デザイン学校のビジュアルデザイン科に入ったが、実技本位のベーシックな図案制作が主だった。禊であるからデザイナーにこだわる必要もなかった
とにかく海の垢を落とすことに集中して、自分よりも若い仲間に同化しようと懸命だった。

――過去を消した男がそこにいた。
『生まれたての赤ちゃんみたい・・・』デザイン学校に入ったばかりのころ、ある女に云われた。否定するつもりは微塵もなかったし、自分の背中を見た思いがした。
これは至言だと、私自身が認める姿である。

大きな転換に迫られたとき、一大決心をした時、自分の内奥で弾けるものがある。
今までの自分とは違う自己としての認識。
自分にとって新しい幕開けであり、本来の自分との再会が出来するのである。







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
陸に上がった河童 その2 潮騒の子守り歌-[conparuの白い航跡]/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる