潮騒の子守り歌-[conparuの白い航跡]

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zoom RSS 自己を超越するもの

<<   作成日時 : 2012/04/23 21:36   >>

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両極性の磁場の影響による二面性

一方の行き過ぎがあれば他方の働きによって引き戻されるか、新しい局面が生まれたりする変革のうえに、人類の歴史が積み上げられてきたのですが、『歴史は繰り返す』というように時代は変わりながらも時代の衣を着て、再び私たちの目の前に現れます。パターン化された現象を見ることができます。

二つの壁にぶつかり合いながら谷を削り、裾野を広げて大海に注ぐ大河のように、私たち人間の祖先は、たゆまない開拓と争いの激流を縫って、 ******    

トータルとしてうまく釣り合いがとれるように進行している。この相反する二面性によって、独走する歴史的偏向にブレーキがかけられて平衡化していると言えるのではないか。

私たちは天文気象の変動や、歴史における時代のさまざまな変革を経て、さらに各様に現れる運命という変貌を背負って生きている。

変化と岐路のなかに否応なく生かされているわけだが、人間がこれらをコントロールする力は持っていないし、むしろ、眼には見えない大きな力によって押し上げられ、あるいは翻弄され押し流されているのを認識せざるを得ないのである。

自然に挑戦すると言って高山に登山しても、山は快く迎えてくれないだろう。下手をすれば自然の猛威にさらされて命を落としかねない。自然に対する傲慢さが許されないのだ。

己の力を過信して自分の力だけで事を成し遂げたなどと思っていると、とんでもない方向へと事態が変転してしまうことが多々あるものである。とかく物事が順調に運んでいる時は浮かれやすく、他者への思いやりに欠けるところがある。

自然の自己を超越した存在、または周囲の人たちの暖かい温情に気づかないで、現在の恵まれた境遇があたかも自分の力だけで成し遂げ、思いの通りに歩んできた結果である、などと思い上がった考えの時期を通過して、ようやく人間としての品格が備わり、自己存在の位置を獲得し現在に至っているのだと思い知らされるのである。

のぼせ上がって浮足立った未熟な生は、とどのつまり、思い上がりの頂点から失望の奈落に突き落とされる運命が待ちうけている。そうなって否応なしに自分の非力を思い知らされるのだ。これはその人の人間形成に決定的な要因を突きつけることになる。

人の存在は自然と敵対した関係でなく、自然の一部としてこの世に寄生しているのだから、自然に対して素直に向き合わせなければならない。自己を超越する存在に対しては謙虚な姿勢で臨むべきだと、胸の奥深くに言い聞かせているのである。はなはだ手前勝手に人生訓を垂れていますが、自分への戒めなのです。

歴史を振り返ってみると、歴史上の大人物には必ず陰で支える人がいたと云うことが重視されるべきだと思う。人の運命や事態を動かしているのは何か。次に考えてみたいと思う。













 





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