潮騒の子守り歌-[conparuの白い航跡]

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zoom RSS 初めての船

<<   作成日時 : 2009/12/09 01:19   >>

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初めて船に乗ったのは川崎港だった。記憶もおぼろげだが7000トンクラスの内航船タンカーだった。国内だけの航路である。
アイ海運の先輩によると、養成船だということだった。使えるかどうかを試すのか、半人前の少年が二人乗り込んできた。そのうちの一人が僕だったのである。
川崎港と兵庫県の相生港を、行ったり来たりの退屈な養成船ながら、日曜日の晩餐には洋食のビーフステーキが出た。船員にとっては陸にあがることと、洋食のステーキを食べるのが何よりも楽しみだった。

乗船して1ヶ月も経たないある日、珍事が発生したのである。
ある港に接岸した日曜日に、洋食のステーキが供されていた。大方の船員は上陸を前に食事を済ませ、テーブルの上には私たちと先輩の三人分のビーフステーキが残っていた。
先輩は金がないために眠り呆けているのか食べに来る様子はない。食堂には半人前の新人の二人だけがぽつねんと所在無げに座っていた。正確に言うと食事の世話をするボーイ長の僕と、同じボーイ長だが、非番で金もないウエスト君がいたのである。ボーイ長と言っても部下がいるわけではない。サロンで給仕するボーイとは別ものの、どん底の一番最下位に置かれていた二人であった。
ウエスト君と僕は先輩が来るようすも無いので、長いテーブルに座ると、一気に食べ始めた。瞬く間にステーキは平らげられて、白い皿だけがけが残った。おそらく話もしないで黙々と食べたのだろう。
ウエスト君は食べ終わると、テーブルの反対側にある、まだ手をつけていない皿に目をやった。「ステーキが余っている〜ぅ」「よし!いただきだ」、言うが早いかステーキはウエスト君の腹に吸い込まれていった。彼は二人分を食べてしまったのである。

その後が大変だった。今まで寝ていた先輩が食事に来たけれど、有るべきものが無いのだから当然「どうした?」と言うことになる。僕は「ウエスト君が食べてしまいました」と正直に述べた。賄いには余分な食事などあるはずも無く、そのあとは如何なったのだろうか。ウエスト君の目が真っ赤だったことは覚えている。甲板長からこっぴどく怒られたと思う。
僕は食事当番の責めを負わずに済んだ。

このことが有ってから僕は、甲板長のボースンに呼び出され、『次の相生港で下船し、熊本の水俣港に停船しているベース島丸に乗るように』告げられた。おまけにボースンの奥さんが、わざわざ戸畑の自宅まで随行してくれ、休息の時間もいただいた。
かくして養成船の生活は1ヶ月ほどで終了することが出来た。水俣港港外には1万トンを超える外国航路の貨物船が待っていた。









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